梅干し屋のおとうさんとおかあさん/八木漬物店さん

(2022.2.8 に書いたものに加筆しました)


新潟市中央区の本町通り、イトーヨーカドー大丸新潟店のあるアーケードには、
路面店の他に、野菜やお花などを並べている出店がいくつかあります。

私が2012年に上越市から新潟市に転居したころの本町通りは、
活気ある常設市場もあって、今よりにぎわっていたのですが、
設備の老朽化もあってか片方の市場が無くなり、だいぶカランとしてしまいました。


それでも”本町市場”は、通称 ”万代島” に暮らすひとにとっては無くてはならないお台所。

その一角に、米菓と梅干を並べているお店があります。 ⇒(ありました。)





こちらは本文とは関係ない古町界隈の一角


転居して間もない頃、両親が来てくれて、一緒に本町界隈を散歩したことがありました。


父がその梅干し屋さんを目に留めて立ち寄った時は、
父と同世代か、少し若いくらいのおとうさんが店番をしておられ、


父も趣味的に梅干しを漬けたことがあったので、塩分のことなどを尋ねてひとつ買い求めた帰り際、

「まあお互いに、元気にいきましょうや」と、
出店のご苦労を労わるようなことを言いながら、挨拶をしたのでした。


それが、いつのことだったか、、、


数年して父が亡くなった後も、本町でそのおとうさんを見かけると、お元気でよかったと思っていましたが、
このところはお見掛けしなくなり、店番がおかあさんに変わったので、少し気になっていました。


ある日、久しぶりに梅干しを買って帰ろうと思い立ち、寒い中、ひとりで座るおかあさんにこんにちは。


「うちのおばあちゃんの味でね、塩だけの昔ながらの味だよ」とおっしゃるので、

ハイ、前にもいただいて、美味しかったです、と言うとお顔が少し明るくなられたので、


もうずいぶん前に、父と来たことがありまして、、、

その時は”おとうさん”がおられたと思うのですが、、、


と言うと、2年前に亡くなられたとのこと、、、


私の父と、おとうさんが語らっていた時のこと、

それから父が亡くなって、

梅干し屋のおとうさんは、お元気かなと思っていたこと、

お伝えできました



なんの慰めにもならないことだけれど、


いや、、、でも、、、そうかな、、、 とも思うのです


営んできた歴史の中に、いろんな出会いと出来事があったはずで、


続けていると、ある日の知らなかった出来事の続きが、ひょっこりとやって来たりして


だから今もこの寒空の下に、店を広げて居てくださるのでないかと



おとうさんに代わって商いを続けるおかあさんは、

「子どもたちにはもう(出店を)やめたらと言われるのだけど、
家にこもってしまうのもつまらないし」とおっしゃいました。


おともだち、ご常連、出店を待っていてくれるひとが

きっとたくさんいらっしゃるのだと思います。


転居した当時、新潟の商売のひとは、なんてクールで愛想が無いんだろうと思っていました。

でもこの海風吹く寒気の中にいたら、言葉を交わすことも忘れてしまうかもしれません。


案外、あったかい、と思うようになった9年目です。(←と書いてあったので初稿は2020年かもしれません)


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父母と歩いたのは2012年の11月に転居して来てすぐ迎えた冬のことだったでしょうか。

アーケードの下とはいえ、寒い路面でのご商売はどんなに大変か、、、

店番をしている方の多くは年配のおかあさんで、
ここに一日いるだけでもご苦労様なこと、と今は思います。


そんな出店の中に、

藤五郎の梅干し。




かつては梅干しの入った甕を並べ、
ビニール袋に小分けにしたのを売っておられました




2024追記

2018年にギャラリーを始めてからは、私は長岡に居ることが多くなり、
本町・古町界隈で買い物をする機会も減り、街は行くたびに少しずつ様変わり。


コロナ禍が街の人出を減らし、出店にも影響したでしょうか。
お年も重ねられたことと思います。
久しぶりに本町を訪ねた時には、梅干し屋さんの出店はありませんでした。


おかあさんの出店を最後にお見掛けしたときは、梅干しが上の写真のようなパッケージになっていて、
「八木漬物店」さんという名前を覚えられたのはよかったです。

新潟市内のスーパーなどで見かけると、
おかあさんのお店の梅干しだと思って、時々購入します。

お元気でいらっしゃいますように。