4年前にわずかにお目にかかったミーヨンさんの写真を、ようやくゆっくりと拝見することができました。

言葉も、肌の色も、暮らしも全く異なる彼らと、
ひとがひとを思う気持ちは変わらないのだと、肌で感じた感動だけを鮮明に、
私はいつでもそこへ行くことができる
2018年11月のインド・バナラシに彼女がみた 光。その「 巡礼 」の記憶に、遠い日の旅が思い起こされました。

かの地を訪ねてからもう30年も経つことに、驚きとは異なる感情をいだきました。
熱気、喧噪、砂埃
いきもののにおい、黒く深く強いまなざし
道端に、暗がりに、至るところに神々
咀嚼しきれない異国の風物
そのどれからも、もうずいぶん遠いところに居ること
けれど、あの日から続く道を、確かに歩んできたと思えること
言葉も、肌の色も、暮らしも全く異なる彼らと、
ひとがひとを思う気持ちは変わらないのだと、肌で感じた感動だけを鮮明に、
それ以外の記憶はおぼろげで
ソフトフォーカスの写真は、まるで自分が見たことのように心の中で重なって、
何かを確かめるように、手繰り寄せるように、五感がしずかに震えていました。
つい先日の展覧会の記憶と、はるか遠い旅の記憶が、まるで同じ距離にあるように感じられます。
それが体感したことの強さなのか
被写体の強さなのか
あるいは、これがミーヨンさんの写真のチカラなのかもしれないと、
伝えるコトバを探しながら、
言葉に置き換えがたいところにある Truth を感じながら、
それらを言葉に、写真に、絵画に、あらわすことのできるひとを、私は 光 のように思うのでした。
時の地層をゆく夏の旅をいただきました。
ありがとうございます。
私はいつでもそこへ行くことができる