つれづれ(哀悼)

新潟県内も早かれ遅かれ、と思っていた事がついに報じられ、
昨夜は動揺のピークでした

春の展覧会については、状況次第での変更も視野に入れつつ、
(延期等、変更を決断した時はすみやかにHPで告知いたします ⇒ 



1月の矢尾板克則展で咲き始めた「シクラメンの大森さん」は


あたたかい室内で満開中



個人の暮らしとしては、ひとまず
これまでメディアで呼びかけられてきたとおり


人混みに行かない
大勢がいる閉鎖空間ではマスク※
帰宅したらうがい手洗い

(※追記・WHOが新型コロナは空気感染することを認め、簡易なマスクは感染を防ぐ確たる根拠がないとのことで、たびのそら屋では2022年春より、お客様へのマスク着用のお願いをしていません⇒ )


そして免疫力を落とさない生活
それには腸内細菌たちにお元気でいてもらうのがよいのですって


私の快腸の素はいつものヨーグルト
それは何か特別な乳酸菌をうたったようなものではなく
生乳100%で美味しい(コレ一番大事)
かつ、お手頃価格で(大事!)常に定価で、安定して
最寄りのスーパー店頭で購入できるもの(コレも非常に大事)


ひととあまり足並みを揃えない
というのもいつものこと

ひと様の動向が気になるものの
「群衆」というかたまりは恐怖

家の日用品や食料の在庫を確認すると
多少心細いアイテムはあるものの
今日のところは買いに出るのをぐっとこらえて


そこには今日しか出れない、あるいは本当に急を要しているひとたちが
朝から殺到しているはずで

もうとっくに出遅れているし


これもいつものこと

私はだいたいのことに出遅れます

多分、逃げなくてはいけない大事件の時は
情報入手が遅くて逃げ遅れてしまうひとだと思います


まだスマホじゃないし、
緊急地震速報(?)の鳴らない電話だし、
台風の時に乱発されたという「エリアメール」も当然無くて
ひとりで居ると、本当に静かなものです


それより
いつもより足りていないのはスマイル!スマイル!スマイル!


2/26 大事な大事なひとが亡くなりました

年齢をはぐらかして教えてくれなかった彼女は
私とひとつしか違わない年下でした


こんなつれづれより先に書きかけた追悼文があるけれど

私はまだ受け止めることができないでいます


こんなときに
何をどう笑えばいいのか


そうだ、
口角を上げるだけでもいいのですって

脳は不思議で、賢そうなのに勘違いもしてくれる
躰の示したことをそのままに受け止めてくれるので
口角がにっこり上がっていると、心はどんよりしていても
「笑っている」=うれしい・たのしい・可笑しい・ハッピー☆
と受け止めてくれるらしいです

気持ちもつられて上向いたら
しめたもの

いい流れを、いろんなひとのちからを借りながら、自分でつくろう

過ぎていく今を、今日を、大切に


このところ、2年前の大雪で傷めた腕がいよいよ悪化して、
これはなんとかせねばと新たな整骨院の門戸をたたいたところ、
ようやく納得のいく説明をしてくれる先生に出会えて通院しています

その先生の治療の中にも、脳の勘違いを取りれたものがありました

専用の鋭利な器具(家庭では爪楊枝でもよいとのこと)で
該当の場所近辺をツクツクツツク・・・ と、
イタっと感じるけれど傷つかない程度に刺激を与えると、
脳はそこがケガをしたと思って、その近辺に「治せーー」と自己治癒力を
向かわせてくれるとのこと


それは治療の中のほんの一部だけれど、
本人の持つ自然治癒力の手助けをする、というスタンスでの治療を丁寧に説明しながら、
断定することはせず、仮説を立てて観察しながら手当てしてくださる先生に
出会えたことの安心感

それだけで各所の細胞が治癒されているように感じます


本当は、自分が、それくらい
自分を大切に労わらなければならならなかったのだと思うのですが

ひとから入れてもらったコーヒーが美味しいように、、、
誰かに労わってもらうのはまた、届くところが違うのです


****************


巡りきた9年、というのとはまた違う意味合いで
今、2011年を思い返しているのは私だけではないと思います

こういう時の私は依然、変わらず気持ちが弱くて
がっくりです

こんな時、どう過ごせばよいか

情報にかじりつきたくなるけれど
テレビが無いのは幸いです

最初のうちは、テレビが無いことでの情報の遅れや取りこぼしが不安になるけれど
私などは見続けて無用に煽られて不安増幅すること間違いなし


あの時の何を教訓にできたのか
行動の何を変えることができたのか


自問しながらネットやラジオで
日頃からの頼るべの方々が発信してくださるものを軸に、
ある程度の見解を辿って落ち着きを取り戻します




世を駆け抜け、あまりにも早く天に昇っていってしまった
彼女なら、こんな時どう過ごし、何を発信しただろう、、、 

つい、頼りたい気持ちで思ってしまうけれど

自分で考えたり、調べたり、行動することを
祈りと共に捧げようと思います


刻々と状況は変わり、こころもまた揺れていくと思いますが

私も不安より希望を、活路を、
見出し、冷静に発信できるひとでありたいです


長いつれづれでした
もし読んでくださっていたら
ありがとうございます



橋本桂子さんに